ミクロネーション建国前。
西暦2012年の中頃、当時12歳の日系ペルー人のアルベルトと言う少年が当時の趣味である世界の国々の研究を
していた所、ネット上でシーランド公国と呼ばれる国家を発見し、アルベルトはその国家のことを調べ、その国家が
ミクロネーションと呼ばれるものと知り、アルベルトはミクロネーションに興味を持ち始めた。
タンジア公国の建国。アルカディアの始まり。
西暦2013年1月10日、アルベルトは自身の弟(後の皇帝直属騎士)フランチェスコと共に君主制国家
タンジア公国の建国を宣言し、アルベルトはタンジア大公を名乗り、公国の君主として君臨した。
アルカディア史ではタンジア公国は前期国家に分類され、この時代は大公時代と呼ばれている。
大公時代、アルベルト大公の治世。
タンジア大公アルベルト一世は、公国の治安維持のために、大公衛兵隊を創設し、自身の弟をその隊長に任じた。
大公衛兵隊は国内の治安維持及び大公の護衛を主な任務としていた。そしてアルベルト大公は自国の領土を自ら
の家のみと定め、人口を4人と定めた。
大公時代の終焉及びカウディーリョ時代の到来。
タンジア公国が建国されてから数か月がたった頃、突如アルベルト大公は君主制の廃止と大公位の退位を宣言し、
ファシズム国家タンジア帝国の樹立を宣言し、自身は大永世総統を名乗った。アルカディア史ではタンジア帝国は
後期国家に分類され、この時代はカウディーリョ時代と呼ばれている。
カウディーリョ時代、総統の治世。
アルベルト総統は自国を軍事独裁国家と定め、独裁的な政治を行った。又大公時代の事実上の常備軍だった
大公衛兵隊をタンジア帝国軍に改組し、その兵権を掌握した。このカウディーリョ時代ではアルカディア史上初の
憲法典、タンジア帝国憲法がアルベルト総統によって制定されたが、この憲法は数日で総統によって廃止された。
アルカディア帝国の樹立及びアルベルトの皇帝即位。
タンジア帝国が建国されて数か月がたった頃、アルベルトは理想的な国家、政治的な国家、宗教的な国家を作ろうと
思い、それに相応しい体制として、帝政を選んだ。そして理想的な国家の建設のため、自らの一族を統一することを
決め、一族に理想国家の構想を教え、一族からの支持を集め、翌年西暦2014年1月5日に一族の統一が完了し、
その数日後、タンジア公国が建国された西暦2013年1月10日を建国記念日とする帝政国家アルカディア帝国の
樹立が宣言され、アルベルトはアルカディウス一世として、皇帝に即位し、ここにマルティン王朝が誕生した。
アルカディア帝国皇帝アルカディウス一世の治世。
アルカディウス一世は皇帝として、憲法を制定し、近代的な国家体制を構築した。但しこの憲法は首相の権限が強く、
民選の議員で構成される議会(帝国議会、一時期元老院)が存在するなど、民主的な憲法であった。当時のアルカディウス一世は
まだ君主主義者の自覚がなかった。アルカディウス一世は帝国の常備軍として国防軍(後の帝国騎士軍)を創設し、その軍の
統帥権を有した。又宗教政策を行い、一族代々の信仰宗教であるキリスト教カトリックを国教に定め、自らをカトリックの守護者、
ローマ教皇の代理人と名乗り、ローマ教皇に対し忠誠を誓った。又自身の信念に基づき、様々な宗教的な法案を作成し、議会に
認めさせた。そしてアルカディウス一世は西暦2015年頃から、海外のミクロネーション国家と積極的に外交関係を樹立し、
自国の存在をアピールした。そして幾たびの戦争を経験し、自国を勝利へと導き、帝国の国際的地位の向上に努めた。
西暦2015年末、アルカディウス一世は自身が制定した憲法の民主的な要素を嫌い、又皇帝権の強化のために、初の憲法改正を
断行。この時から皇帝は君主主義者としての自覚を持つ。まず皇帝は首相の権限を大幅に削減し、文官を任免する権限を掌握。
又議会(帝国議会)の民選の議員制度を勅選の議員制度に変え、皇帝は議員の任免権と議会の招集権及び解散権と法案の裁可及び
拒否権を掌握し、皇帝は強大な政治的な権限を手に入れ、絶対君主としての道の第一歩に足を踏み入れた。又アルカディウス一世は
国防軍の名称を帝国騎士軍に改称し、弟のフランチェスコを皇帝直属騎士に取り立て、数人の従兄弟を帝国騎士に取り立てた。
この時からアルカディア帝国は中世風の体制に変貌する。アルカディウス一世は憲法に、帝国の統治はキリスト教カトリックの
教義に基づき行う等の規定を追加し、政教一致体制を確立、又帝国に勲功ある者に爵位を授け、自身の支配体制をより強固なもの
にした。そして身分制度を導入し、帝国の身分制社会を築き上げた。アルカディウス一世はこの時幾たびの憲法改正を行い、
憲法の規定に絶対君主制を追加するなど、皇帝としての権威の拡大を行い、議会の構成員及び内閣の閣僚に皇族のみを登用し、
皇族に勢力としての力を与えた。そして西暦2016年末、アルカディウス一世は大幅な憲法改正を行い、議会の権限削減
及び皇帝権強化を行い、閣議の決定権及び行政権などの多くの権限を掌握し、帝国の体制を完全なる絶対君主制へと変貌させ、
アルカディウス一世は絶対君主として、帝国に君臨した。そして西暦2017年初期、アルカディウス一世は帝国議会の
永久解散を宣言し、立法権を手に入れ。自らをアルカディアの専制君主と名乗り、アルカディア帝国は近代的な体制と中世の
体制が混合する帝政国家へと生まれ変わった。
帝国独自の通貨、インペリアル・ソルの誕生。
西暦2017年、皇帝アルカディウス一世は閣議で帝国独自の通貨の創設を決定し、それに伴い、通貨法を制定し、
自国の通貨の単位をインペリアル・ソルと定め、通貨を1、2、5、10、20、50、100、200の紙幣
とした。そして翌年の西暦2018年3月18日に全紙幣の作成が完了し、帝国独自の通貨、インペリアル・ソル
が誕生した。インペリアル・ソル紙幣にはペルーの都市、町、土地、南米の動物などが載っている。
帝国の停滞と日本ミクロネーション社会の衰退。
西暦2018年頃から日本ミクロネーション社会は衰退期に入り、各国で停滞期が突入。我が帝国も停滞の波に飲み込まれました。
その衰退と停滞の期間、我が帝国は目立った活動ができず、続々と周辺諸国も消滅し、ついに西暦2021年に日本ミクロネーション
連盟が解散。その後継組織も暫くして自然消滅。我が帝国を残し、多くの国々が消滅しました。
最大同盟国との出会いと新たな日本ミクロネーション社会の誕生。
我がアルカディア帝国は連盟末期の西暦2020年。女帝白梅(当時)が治めるヤマタイ国と当時の日本ミクロネーション連盟が
対立状態にあったため、我が帝国は対立の解決の為、ヤマタイ国と接触。以来関係は続き、国交の樹立、同盟関係を確立し、現在まで
続く最大の友好国・同盟国の間柄になりました。そして2021年。我がアルカディア帝国と女帝白梅から帝位を継承した
大君言仁治下のヤマタイ国、新興国チャンイーポリス帝国で三国同盟を結成。そして同年、三国及びいくつかの新興国とともに
日本ミクロネーション国際連合を樹立。我がアルカディア帝国は常任理事国に選ばれ、第二次日本ミクロネーション社会が誕生
しました。
現在のアルカディア帝国・栄光ある前進の時代。
我がアルカディア帝国は大業成就の為、2023年から数年ぶりに積極的に海外諸国と通交し、同年7月10日にカンドレア帝国連合と国交樹立。7月20日にワナダ王国と国交樹立。7月31日にゴスランド大公国と国交樹立。8月5日にはゴスランド大公家と同盟を
樹立。それ以降も諸国家と国交を結び、ミクロネーション国際社会で積極的にアクションを起こし続けています。そして8月15日に
最大同盟国たるヤマタイ国を継承した陽元連邦帝国と同国が盟主を務める連合国家統一ドラグマと改めて同盟を樹立。両国の関係は
堂々と内外に知れ渡り、両国の絆はより強固なものになりました。
現在のアルカディア帝国は君主国との友好関係の確立という従来の外交方針を引き継ぎ、それと同時に体制を問わない積極的な外交を
今後の帝国の外交方針とし、平和路線を基本的な外交姿勢としました。
我がアルカディア帝国は内政の積極的な取り組みも開始し、帝国における封建体制のさらなる推進とそれに伴う貴族文化の興隆を
目指しています。その一環として帝国諸侯との交流と建国以来の重臣であり帝国首相を務める帝国諸侯の一人バルガリア公爵
フランチェスコが皇帝アルカディウスが敷く封建体制下での所領経営を始めとする領主としての活動を本格的に開始し、他の諸侯も
これに続きます。そして2023年9月1日にはバルガリア公爵の紋章が発表され、これを帝国貴族文化発展の第一歩としました。
そしてこれ以外でも我がアルカディア帝国は新たな法の制定を進め、帝国の宮廷文化発展の計画や様々な政策の計画を進行しています。
我がアルカディア帝国は積極的な外交、積極的な内政、そして日本ミクロネーション国際連合が推進する日本ミクロウィキ事業に
参加し、栄光ある前進の時代を歩んでいます。我がアルカディア帝国は栄光と繁栄を勝ち取ります!帝国万歳!帝国に栄光あれ!
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