ノウス・インぺリウム・インペラトル理念

中世西ヨーロッパの地にゲルマン人の一種であるフランク族の

王国であるフランク王国が存在していました。フランク王国は

メロヴィング朝から、そしてカロリング朝へと続き、その歴史を

紡いできました。そしてカロリング朝時代のフランク王国に

とある王が誕生しました。それが後世キリスト教守護者と称えられる

フランク王カール1世です。カール1世はその手腕により、

フランク王国の最盛期を築き、その領土は西ヨーロッパの四方に

広がり、広大な領土をフランク王国にもたらし、ゲルマン人の

大移動以来混乱した西ヨーロッパに政治的統一と安定を

もたらしました。そしてフランク王国におけるキリスト教の発展に

心血を注いでいました。そのカール1世のフランク王国がキリスト教と

密接な関係を持つことになった一つの出来事が西暦800年12月25日に

起こりました。カール1世は12月25日にバチカンのサン・ピエトロ大聖堂にて

開催されるクリスマスのミサに出席するため、バチカンに赴きました。

そこで時のローマ教皇レオ3世がカール1世にローマ皇帝としての

帝冠を授け、カール1世はローマ帝国を統べる皇帝となり、

古代の西ローマ帝国を継承し、西ローマ帝国を復活させました。

後世、カール1世はカール大帝と称えられ、偉大な皇帝として

歴史に名を刻みました。カール大帝のローマ帝国はカトリック教会と

緊密な関係を持ち、帝国そのものが、地上における神の国、普遍的な

教会という観念で見られていました。同時代の賢者でカール大帝の

側近の一人であったアルクィンはカール大帝の帝国を

キリスト教帝国(Imperium Christianum)と呼んでいました。これ以降、

西ヨーロッパの皇帝は、フランスのナポレオンが台頭するまで、

西ローマ帝国の後継者、キリスト教の守護者の意味を持つようになりました。

このキリスト教的なローマ帝国はカール大帝とその子孫に続き、そして

カール大帝の帝国を継承した神聖ローマ帝国に続きました。

このローマ帝国の領域はインぺリウム(Imperium)と呼ばれ、

ローマ皇帝はインペラトル(Imperator)と称していました。

しかし、神聖ローマ帝国は西暦1806年8月6日に

最後の神聖ローマ皇帝フランツ2世の退位と帝国解散が宣言され、

消滅してしまいました。そしてフランス皇帝ナポレオンの

台頭により、中世より続いてきた西ローマ帝国の後継者、

キリスト教の守護者という皇帝の意味は失われてしまいました。

そしてもはやローマ帝国は存在せず、キリスト教の守護者としての

皇帝が存在しなくなってしまいました。

そこでアルカディア帝国皇帝アルカディウス1世は

キリスト教帝国の繁栄を築こうとしたカール大帝の遺志を

受け継ぐことを決意し、自らをカトリックの守護者と自負し、

そしてアルカディア帝国がキリスト教を守護する帝国で

あることを自負していることを公に示し、

ノウス・インぺリウム・インペラトル理念を提唱しました。

そしてこの理念を帝国の礎としました。

この理念は、ラテン語で新しい帝国(ノウス・インぺリウム)、

新しい皇帝(ノウス・インペラトル)と言う意味で、

アルカディア帝国はローマ帝国に取って代わる新たな帝国(インぺリウム)

であり、新たなキリスト教帝国(Imperium Christianum)である。

そしてアルカディア皇帝はローマ皇帝に取って代わる新たな

皇帝(インペラトル)であり、新たなキリスト教の守護者である。

と言う意味を持ちます。よってアルカディア帝国は

ヨーロッパのローマ帝国におけるキリスト教的な

帝国の概念を継承し、キリスト教を守護する帝国として、

キリスト教カトリックを国教とし、その保護と普及に

努め、地上における神の国であることを宣言します。

そしてアルカディア皇帝はキリスト教の守護者であり、

帝国における普遍的な世俗支配者であり、神によって

立てられた権威として、帝国内の王と諸侯の頂点に立ち、

帝国を統治し、神と臣民に仕えます。これが

ノウス・インぺリウム・インペラトル理念です。